ことなんて、どうでもいい。わたしは、この3次元を、味わい尽くす。と言う人ほど、自らの思考が、生み出す、幻想世界に、生きているので、3次元世界の本質に、触れることなく、人生が、進んでいきますが、エネルギー的には、生まれても、死んでもいない状態なので、水や、空気の循環の如く、輪廻転生を、繰り返します。又、生まれても、死んでもいない状態に在る人ほど「わたしの人生は、今世限り。もう、2度と、生まれてこない」という、幻想世界の住民である、証しを、口にしますが、観える世界も、観えない世界も、同じ3次元の尺度であり、分離どころか、もともと、ひとつであり、ある人には、観えない世界でも、ある人には、観えていることから、観えない世界とは、その人の思考の働き具合により、天と地ほどの差があることも、事実です。一般に、「水を飲む」という行為を、観えない世界の話しに、置き換えると、「肉眼では観えない水素分子と、酸素分子が、化学的に、結合することで、素粒子の微細動が発生、固有の周波数を放つ、エネルギー体となり、細胞に、吸収され、余剰分の水分子は、汗や尿などの、アンモニアとして、排出され、エネルギー循環の中に、還元される」となります。スピリチュアルや、精神世界が、捉えている、エネルギーや、周波数などの観えない世界とは、観える世界の構造を、映し出すレントゲンみたいなもので、3次元の範疇を、超えてはいません。本来の観えない世界とは、五感が及ばない、ただ在るスペース、又は、静寂のことで、あれこれ、説明したり、解説するなど、思考が、介在出来ない世界のことを、指しています。
zerostillness
nandemo ari de nandemo nai