すべてのモノ、すべての現象には、素粒子や、クォークなどの振動を、起源とする、エネルギーが、重なり合うよう、常在し、色や形、声や言語、思考や感情が放つ微弱な電気振動、臓器や神経系統の微細動、風や気圧に起因する摩擦エネルギー、細胞や病気などの振動波、意識が放つ固有の波動など、すべての事象は、波長や周波数というカタチで、すでに数値化されています。それら、数値化された事象に、意識的かつ継続的に、触れ続けることで、実際の測定値を、知らなくとも、その周波数を、肌感覚で捉える受容体が、進化していきます。旨みや、甘みが、数値化され、今や、調理は、化学反応として、企業の商品化にも、生かされていますが、調理に、長けている人は、このような測定値や、データに頼らなくとも、何を、どうすれば、こうなるという感性を、持っています。エネルギーのお仕事も、長年、従事していると、クライアントの思考、意識、健康状態、人生の在り様、未来の青写真など、容易に、検知、予見出来るようになります。時折、スピリチュアルと、エネルギーのお仕事は、同じであるかのように、誤解されることがありますが、エネルギーの世界と、スピリチュアルの世界は、似て非なるもの。そもそも、スピリチュアルとは、意識の視野を拡大させ、人生を楽に、自分らしく生きる価値観や、新しい世界観を、提供するコンテンツ。カウンセリングや、ヒーリングなどを通し、新しい視点や、視野を、意識に刷り込む、箱庭療法の一種ですが、エネルギーのお仕事は、お医者さんのように、クライアントの思考や、感情の話しは、聞きますが、クライアントの自己評価や、ジャッジは、エネルギー的に、ぽぽ正確ではないので、クライアントからの思考の情報に、惑わされることなく、エネルギーのみを、冷静に、観察、方向性を見出していく、意識的視野が、必要なので、そのコツさえ、習得すれば、というより、人間が、本来持っている感覚を、呼び覚ますだけなので、誰にでも、こなせるお仕事ですが、スピリチュアルは、幻想世界に、どれだけ、リアリティを生み出せるかという、個々人の創造性や、人々を惹き込む、カリスマ性など、求められる資質や、能力は、多岐に及ぶ反面、起点が、思い込みや、幻想であるため、現実逃避傾向の強い人々にとっては、救いとなりますが、誰かが、創り上げた幻想世界に、幽閉されたまま、人生を消費する、危うさも、持ち併せています。特に、最近のスピリチュアルは、量子的尺度や、科学的事実を、引用し、自らの世界観を、正当化する巧みなモノが、多く、存在するので、スピリチュアルに、傾倒している方は、俯瞰的視野を育み、スピリチュアルは、呑んでも、呑まれない姿勢で、楽しむことが、大切かと、思います。
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虚勢を張り、強く吠える……。感謝の無い人間ほど、感謝する出来事とは、無縁となる……。傲慢な人間ほど、自らの弱さや、欠点を盾に、出来ない理由を、捲し立てる……。自身の狡さと、向き合えない人間ほど、他人のせいにする……。他人を見下す人間ほど、他人の援助が必要な人生となる……。ハラをくくれない人間ほど、すべて失っていい、死んでもいいと、口にする……。人生は、シンプルな化学反応。ハラをくくらない限り、自らの思考が意図せぬ出来事は、ひたすら、続く。
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自らのジャッジや、選択を、チカラヅクで、正当化しようが、都合の良い、言い訳を見つけようが、宇宙は、すべて、お見通し。どれだけ、山頂近くまで、登っていても、宇宙の流れではなく、内なる声に、耳を傾けた瞬間、あなたは、再び、登山口に、引き戻されます。得する人は、損する人。損する人は、得する人。
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同じ手順、同じ台所で、作った料理でも、母の味や、おばあちゃんの味には、ならないように、その人の持つ、固有のエネルギーや、意識波動が及ぼす影響力は、想像以上に大きい。観葉植物の生育状況、酒、味噌などの発酵状況、部屋の空気感、ペットの毛並み、などなど、それを取り扱う人のエネルギーや、意識波動の状態が、そのまま伝播してしまう事例は、枚挙に、いとまがありません。人生におけるサインも同じ。「明日の朝一、駅の売店で、新聞を、購入してください」というサインが、あったとします。ところが、その新聞は、毎朝、自宅に届けられる新聞なので、朝一に、その新聞を手にしました。で終わらせる人がいますが、駅と、売店のエネルギーが、添加されていないので、人生に及ぼす化学反応は、不十分となり、ただ新聞を読んだという、思考の流れで、終わってしまいます。エネルギーの流れや、サインは、調味料の如く、すべて、受容するように致しましょう。
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火葬率は、99%を超え、世界でも、突出した火葬大国ですが、アメリカ、フランス、イタリア、中国、ムスリムなど、土葬が主流の国からは、家族を焼く国として、日本は認知されていて、海外の風刺劇や、戯曲などには、よく引用されています。「死んだら日本に送るぞ……」「Oh.no……」
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量子もつれの形状で、あらゆる時空に、存在し、思考や、感情に手綱をかけ、目の前の現象を俯瞰出来る、ただ在る意識であれば、自他の区別なく、読み取ることが、出来ます。最新の研究では、意識のバイブレーション(感性)と、青写真の時空を、共振させる、つまり、真っさらな意識(静寂)に、心身を委ねることで、意図せず、映像化された青写真の断片や、そこに繋がるサインが、現れることも、多数、確認されています。
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他者からの解放ではなく、自分自身からの解放。自由とは、外側の束縛からの解放ではなく、内なる制約からの解放。最も大切な学びは、外の世界を知ることではなく、自分自身を知ること。
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物理次元に、意識の立ち位置が、在る人は、得ていくこと、満たしていくことが、幸せや、成功への道だと信じ、努力と行動を、繰り返しますが、そもそも、4%に満たない次元なので、その道は、険しく、頂点に辿り着いた人のみが、具現化出来る世界。その頂点に留まれる確率は、更に、狭き門となります。96%の量子次元に、立ち位置が、在る人は、自我(思考)を手放し、芯我(量子宇宙)の流れに委ねるだけで、現状由来の自我が、欲したもの以上の愛や、安らぎを、与え続けられます。つまり、物理次元においての具現化は、川を遡上するシャケのように、困難に溢れ、量子次元においての具現化は、海流に乗るウミガメの如く、豊かさは、向こうから、雪崩れ込み続け、幸せから、逃れられない状態が、日常化します。自分を特別視する自我は、宇宙の流れから離脱するに、充分な抵抗(ブレーキ)となり得るのです。
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わたしに関わる人々の青写真(未来)を、断片的に、ダウンロードされているので、その人に、出会うと、その断片が、勝手に、再生され、その人の、今在る立ち位置と、宇宙の流れに在る場合との、ギャップを観ることが、日常なのですが、自らの青写真も、大きな節目は、見ているので、終わった未来を、追体験する人生に、当初は、終わった未来を、演者のように、生きるなんて、滑稽で、憂鬱にしか、思えませんでしたが、それは、わたしの視野の狭さから、くるものであると、気づかされてからは、青写真の断片が、新鮮で、色鮮やかに、映るようになりました。美しい夕陽を見ても、昨日と同じ夕陽だから、観る必要ないと、カーテンを閉めていたわたしから、目の前に在る夕陽は、今この瞬間にしか存在しない、唯一無二の夕陽であると、理解出来るようになりました。始まりも、終わりもない、循環する時の流れや、青写真の断片が、どのように、脳裏に、映り込むのかは、映画「メッセージ」に、リアルに、描かれていますが、実は、いかなる人も、自らの未来を、追体験していることを、理解することなく、ただ、そーなんだと、受容しさえすれば、臨死体験など、特殊な体験を、しなくても、青写真の断片は、日常的に、浮かんでくるようになります。
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公開された映画「インターステラー」のエグゼクティブ・プロデューサーを務めた、理論物理学者キップ・ソーンは、これまでの、SF映画とは異なる、理論物理学の範囲内でのストーリー展開と、すべてのシーンに、リアリティを強く求める姿勢で、例えば、三次元宇宙から、五次元宇宙に、移行する、ブラックホールのCG作成のため、新たな論文を作成、複数の物理学者らと、学会レベルの会議を繰り返し、その検証結果に添う、物理学界お墨付きの内容に、仕上がっています。
監督のクリストファー・ノーランも、この映画は、SF映画ではない。リアルな宇宙を描いたドキュメンタリーであると、述べていますが、映画制作時に、作成された論文が、後押しとなり、2017年、キップ・ソーンは、重力波検知を、成功させたとして、ノーベル物理学賞を受賞しています。
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撮影された、これらの画像は、リアルな宇宙の姿では、ありません。ハップル望遠鏡が、捉えた画像には、色も、形も、無く、電磁波などの情報データと、ノイズの砂嵐が、映り込んでいるだけで、地上のパソコン画面には、数字と、記号が、ランダムに、並んでいるだけ……

ハップル望遠鏡から、送られてきた、それらのデータを、地上の技術者集団が、チーム毎に、解析。おそらく、この形で、この色でしょう、という、予測に基づき、叩き台となる画像を作成。それらの画像は、天文学、物理学の専門家チームに、引き渡され、検証、修正され、少しずつ、公開されているような、色と、形に、仕上がっていきます。この工程を、何度も、繰り返した後、やっと、公式に、これが、宇宙の姿ですと、公表されてきましたが、あまりに、鮮やかで、詳細な画像に、違和感を覚えた、部外の科学者や、科学誌の論調を受け、NASAの専門家チームは、即座に、これら画像の処理方法を公開。自分たちが、色付け、構成した予想図であり、リアルな写真ではないと、認める結果に……

およそ科学的とは言えない、人類史最大の盛り写真に、至った背景にあるのは、ハップル望遠鏡の開発に、約1兆2000億円という、公金が投入され、それに見合う成果が、必要だったこと、地上の望遠鏡より、鮮明で、色鮮やかな写真が、撮れるという、触れ込みで、スタートした事業。白黒のデータ画像では、終われなかったことなど、いろいろ要因は、ありますが、そもそも、ハップル望遠鏡の本格運用が、始まった頃には、ハップル望遠鏡を、経由しなくても、地上の望遠鏡と、コンピュータによる画像解析で、ほぼ同じ、予想図が、作成出来るように、なっていた、という話しは、よく知られています。ハップル望遠鏡の宇宙画像は、技術者、専門家たちの脳内で、作成された、宇宙の予想図であり、巨額マネーが動いた結果、観る人が、心躍る写真となるしか、道は、無かったのです。
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話しになりますが、この3次元の世界に、青い空は、実在しません。赤いりんごも、実在しません。モノが見える仕組みは、電磁波の一種である、光(可視光線)が、モノに当たり、その中で、吸収されず、反射された光が、目から入り、後頭部にある、視覚領域において、色に、変換されます。つまり、空の本当の色は、青以外のすべての可視光線が、混ざった色であり、りんごは、赤以外のすべての可視光線が、集まった色が、本来の色となります。このような物理的事象の活用は、人生を俯瞰する訓練にも繋がります。赤いりんごを見ながら、このりんごは、赤以外の光の集合体なんだと、俯瞰した上で、赤いりんごとして、話しをする。この青い空は、青以外の光の集合体なんだと認識しながら、この空は、わたしのアタマの中で、創造されている空なんだと、受容する。そして、このような脳内再生や、脳内創造は、視覚に、留まらず、聴覚、嗅覚、味覚、触覚など、ほとんどの五感で、同様のメカニズムが、確認されています。わたしたちが、見ているモノや、体験は、すべて、脳の中で、生み出されたモノであり、思考では、触れているつもりでも、物理科学的には、一切、触れることは、叶わないのです。見るモノ、聞くモノ、わたしの宇宙……
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ごまを、ひと粒、置くと、一瞬の視野に、収まるので、ごま粒の表面に、東エリアとか、西エリアという、空間の分離や、時間のベクトルは、誕生せず、一滴の雫の如く、ひと粒のごまは、ひと粒のごまに、過ぎませんが、もしも、あなたが、ごま粒に寄生する、小さな微生物だとすると、一瞬の視野に収まらず、ごま粒の表面に、東エリア、西エリア、表エリア、裏エリアなど、空間の分離が、次々と誕生。意識の移動に伴い、時間と、そのベクトルも、創造されます。つまり、意識の視野が、狭くなると、分離が生まれ、選択肢が、誕生しますが、意識の視野が、俯瞰出来るレベルまで、拡大すると、分離や、選択肢のない人生となります。意識の視野が、狭い人は、人生は、選択の連続だと、思い込み、迷い、確信、不安、期待という、幻想由来の尺度を、当たり前のように、受け入れていますが、意識の視野が、広い人に、選択肢は、存在せず、人生は、流れであり、未来は、既に、存在している、その青写真を、追体験している感覚で、生きています。これらの分離や、選択肢を、生み出すメカニズムは、量子科学的に、立証され、それを裏付ける検証結果も、存在しています。仮に、目の前に、選択肢を提示された時、視野の狭い人は、どちらが良いのか、思案しますが、視野の広い人は、すでに、決まっている流れとして、正解の方が、自ずと、意識の視野に、入ってくるため、選択ではなく、流れを受容、衝動に従うという、シンプルな人生となります。不安、期待、辛さ、幸福感などは、視野が狭くなることで生まれる、打ち寄せては、消えていく、波のような幻影。感情を、楽しむことは、自由ですが、感情に、呑まれてしまうと、幻影に、囚われたまま、本質も、真実も、体験しないまま、肉体としての、人生は、終わってしまいます。
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自我(エゴ)であり、心(アタマ)の声。心のお喋りに、手綱をかけ、ただ在るスペース(静寂)の意識を、得ない限り、あなたの現状は、いざという時、運良く、救われ、維持され続けます。さらに、心の声を、自らの声であると錯覚し、支配されてしまうと、心を癒す意識が、強くなり、人生に、ブレーキがかかり、現状すら、維持されなくなります。改めて、お伝えします。思考(自我)や、心の声は、ブレーキ。意識(芯我)や、静寂は、アクセル。やる気や、リキミは、パーキングブレーキ。思考さえ、手放せば、ひとりの、例外もなく、宇宙の流れに、引き戻され、本質的な人生が、具現化していきます。
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上手くいかない人との違いは、自分(自我)を信じているのか、人生(芯我)を信じているのかの差。多くの人は、自分を、信じることは、ポジティブなことであると、漠然と、思っていますが、その法則が、適用されるのは、物理的領域や、肉体の変容など、可視光線で、見える範囲の話し。目には見えない、心の機微、人生の流れなどに対しては、自我は、ブレーキとして働き、自分を信じる毎に、体験型人生へと、幽閉されていきます。特に、人生を、硬直させている親や、教師ほど、自分に、言い聞かせるかの如く、自分を信じることの大切さを、子どもたちにも、強要しますが、片や、人生が、スムーズに流れているオトナたちは、あたふたせず、流れに乗り、人生を、信頼すれば、たいていのことは、上手くいくと伝えようとします。自分のチカラを信じ、努力し続けている人たちを、横目に、ほとんど、努力することなく、棚ぼた的に、思ったことが、具現化する人たちと、話しをすると、「世の中大変そう……」「こんなに幸せなんて、世間様には、言えない……」とか、リラックスした言葉が、飛び交いますが、上手くいってない人々の口癖は、「ストレス発散して、気分転換しなきゃ……」「頑張るしかない……」と、人生の主導権は、自身に在るかのように、傲慢で、りきんだ言葉が、次から次に、吐き出されます。もちろん、本人は、善良で、良識ある市民として、生きているつもりなので、まさか、エネルギー的には、生かされているという謙虚さより、人生は、自分次第という、傲慢なバイブレーションが、上回っているとは、気づいていません。それはまるで、一匹の腸内細菌が、大腸の片隅で、脳神経の働きや、免疫系の動向など、無視し、己れの自我を、具現化しようとした結果、淘汰されるメカニズムに、とても似ています。
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廻りの8割の人は、わたしを含め、コロナワクチンを、一度も、接種していませんが、コロナ感染した人は、ほぼゼロ。わたしの廻りの8割の人は、テレビを観る習慣が、ありませんが、彼らは、わたし同様、テレビを観なくても、世の中の流れや、社会情勢に長け、支障なく、暮らしています。今の若者が、テレビを観ないことは、よく知られていますが、テレビを習慣的に、観る人に限って、多くの人は、テレビを観ていると、思い込んでいます。例えば、関東地区のテレビ視聴人口は、約3800万人。視聴率が、継続的に、高いとされる、NHK夜7時のニュース平均視聴率は、6%前後。つまり、7時のニュースを観ている人は、関東地区で、266万人、他の民放番組を観ている人は、250万人、残り8割、3293万人は、テレビを観ていないことになります。関西地区、中部地区、九州地区になると、テレビを観ない人の割合は、さらに、倍増します。日本人の喫煙率(23年度)は、15%ですから、テレビを、習慣的に、観る人に、出会う確率は、タバコを吸う人に、出会うより、難しい計算になります。500万人も、テレビを観ていると、捉えるのか、3200万人は、テレビを観ていないと、捉えるのか、意識の立ち位置で、観えてくる世界は、異なってきますが、少なくとも、その両方を、俯瞰する視点は、今の時代、必要な感性かと思います。テレビの周波数を、常習的に、浴びると、まず感情のコントロールが、難しくなり、抵抗する思考が、顕著になります。その原因は、テレビの放つ周波数が、前頭葉を刺激し、慢性的に自律神経を、昂ぶらせてしまうことと、ニコチン同様、テレビの周波数には、常習性があり、CMはうるさい、番組が面白くないと、悶々しながらも、テレビのリモコンを、手放せなくなります。今や、脱テレビの流れは、若年層を中心に、全世界的に、拡大しています。100匹目の猿現象ではないですが、時代の流れを、受容し、人生に、変革をもたらす柔軟性を持つのは、いつの世も、若い人たちと、感性豊かな女性たち。聞く耳を持たない、内弁慶のおじさんたちは、自分以外は、全員バカとばかりに、ブツブツ文句を言いながら、チャンネルを変えまくっています。そのリモコン、テレビではなく、自分の頑固アタマに、向けてみたら、いかがでしょう。テレビを、ながらで、付けてしまう、あなた。ほとんど、真剣に、観ていなくても、その周波数は、部屋中に、放射されています。テレビを、1ヶ月、断つことで、意識は、明瞭さを取り戻し、身体は軽く、眠っていた創造性も覚醒、宇宙との共同創造が、復活することでしょう。
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気になる、常識的な方は、最後まで、視聴する必要は、ありません。抵抗なく、受容出来る、量子的感覚を持つ、あなたは、先入観を持つことなく、最後まで、ご視聴ください。
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自分の顔が、浮腫んでいたり、新たなニキビが、出現した時、鏡が、浮腫みの原因や、ニキビの対応策など、一切、伝えることなく、今在る状態を、映し続けるように、宇宙のサインや、メッセージも、今在る状態を、サインや、メッセージで、示してくれます。自我の強い人は、よく、前回は、あんなメッセージだったのに、今回は、こんなメッセージに変わり、どちらが正解なのか、わからないと、自身の意識の在り様や、思考の働き具合などを、問い直すことはせず、目の前の現象を、ジャッジ、思考の枠に、囚われていきます。それはまるで、前回は、痩せていたのに、今回は、太っている。どちらのわたしが、正解なの?という状態。わたしのセッションでも、前回は、行け、と言われたのに、今回は、行くな、と言われ、わたしの透視能力や、青写真情報そのものに、疑念を抱き、適当で、いい加減な話だと、ジャッジしている人を、見受けますが、意思を持たない鏡として、宇宙のサインや、メッセージを、そのまま、翻訳することが、わたしの任務なので、前回と今回の違いの理由を、問われない限り、こちらから、説明することはありません。理由などを、時系列に沿い、説明してしまうと、宇宙のメッセージで、あったはずの周波数が、思考に、触れ続けることで、周波数が下がり、宇宙とではなく、わたしや、自身の思考の枠との対峙となってしまうからです。仮に、鏡が、あなたの浮腫みの原因は、昨夜の深酒によるものではなく、あの時のあの思考がきっかけで、腎臓に腫瘍が、生まれているためとか、あなたのニキビの原因は、喫煙時の煙が、肌に吸着したものが酸化することで、発生しているので、タバコをやめない限り、今、付き合っている彼と別れない限り、ニキビは、増殖していきますと、鏡が、伝えてきたら、次第に、あなたは、鏡を見る度、己れの思考と、対峙するカタチとなり、人生は、硬直してしまいます。あと、稀に、わたしが伝える、宇宙や、エネルギーの話を、わたしの宇宙観であるかのように、捉える人がいますが、3度、死んだ人間に、宇宙観などは無く、あくまで、意思を持たない鏡として、宇宙のお仕事を、全うしているだけ……夕陽の様子を、伝えるにも、雨上がりの夕陽から、人生最期の夕陽まで、同じ夕陽、同じ波動など、存在しません。思考の強い人は、思考を外せと、同じことばかり、言われ続けていると、言葉ばかりを、追っていますが、宇宙から観ると、思考に囚われ、地下深く沈み、地下245階辺りを、さらに下へと沈み続けているのか、思考に手綱をかけ、天空へ、駆け登っている状態なのか、サインやメッセージの言葉は、同じでも、付帯しているエネルギーは、全くもって、違う処方箋であることを、受容する意識が、大切かと思います。
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メッセージは、いつも、ふわっと浮かび、さらっと、消えていきます。大切なメッセージだからと、念押しされたり、赤線を引いてくださいなどと、注意喚起を、促されることもないので、普段、意識していないと、見逃してしまいます。よく誤解されるのは、宇宙からのサインや、メッセージは、神秘的で、奇跡的で、特別なモノだと、思われがちですが、ほとんどの場合、たわいもないことばかり。今日、お昼に、コロッケを食べてください、浜辺に行って夕陽を眺めてください、あの人に、連絡してくださいなど、思考の強い人には、およそサインとは、思えないもの。宇宙の振動波自体、アドレナリンが出るような周波数ではなく、漆黒の宇宙そのまま、静寂で、フラットなもの。少なくとも、滝に打たれろ、坐禅を組め、瞑想しろなど、思考的なものではなく、リキミのない状態の時、サインは、姿を現します。ボーッとしながら、食器を洗っている時、ほっとひと息トイレに座っている時などに浮かぶ、なんてことないワードや、イメージを、ジャッジすることなく、即実行したり、ふっと目がいく看板や、人間を、ただ観ることで、宇宙との共振が、始まります。多くの人は、いかんいかん、こんなこと考えている場合じゃない、現状と、向き合わないと、とリキミスイッチを入れ、現状に、エネルギーを注ぎ続けていきます。わたしの初期の頃のサインは、つまらない映画を観ろ、山に登れ、ハンモックで昼寝しろ、などでしたが、実行後は、必ず、わたしでは、思い付かないアイデアや、インスピレーションが、浮かんできたり、流れが、勝手に、変わっていく経験を、たくさんしてきました。現状を、変えるには、現状には、触れず、自らの意識を変えることが、一番の早道。幻想なる現状と、共振するのか、静寂なる宇宙と共振するのか、人生は、シンプルな化学反応なのです。
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付き合う上で、知っておくべき、大切なポイントが、あります。それは、ただ漠然と、預貯金を増やしたい、お金持ちになりたいというような、現状の変更を、優先する、自我の望みは、原則、感知されません。あくまでも、自我を、手放し、青写真を履行するに、必要な、エネルギーの器を、形成するのが、主たる目的。リフォームのための資金が欲しい、将来、起業したいから、今から資金を、貯めておきたいという、現状由来の希望や、不安と期待をベースにした思考は、反映されません。以前は、努力と行動で、自分の人生を、思った通りに、具現化出来ていたのに、今は、運良く救われる程度の人が、自分のやりたい人生から、自分にしか出来ない、宇宙のお仕事人生へと変容するに、必要な、お金や、キーマンなど、必要なモノを、必要なタイミングで、提供するのが、宇宙銀行のお仕事。宇宙銀行に、口座が、用意されている人には、頼んでもいないのに、予算を超える、予定外の買い物や、お金は無いのに、大きな支払い(解放)が、断続的にやってきます。最初は、自由意思で、拒むことが出来ますが、青写真との、ズレが拡大してくると、怒涛の如く、コトが、起こり始め、人生や、体調に、影響が、現れるようになります。自らの思考で描く未来に、ときめきや、喜びを、感じないあなた。自我を手放し、衝動に、従い続けることで、あなたの思考では、描くことの出来なかった、魂が喜ぶ人生へと、導かれていきます。あなたの振動波が、宇宙と、共振する時、奇跡と呼ばれる体験が、日常となっていくのです。
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物価高に苦しむ国民の様子や、年金では暮らせない問題など、ある意図を持ち、報じ続けていますが、日本国民の総資産額は、ドイツに続いて、世界第2位。日本人の預貯金総額は、630兆円で、世界第1位。資産1億円以上の日本の富裕層世帯は、153万世帯、そして、誰のお財布にも、入らず、世の中に還流している、お金は、軽く一京円超え。これに、世界全体で、還流しているお金を、加えると、桁違いのお金が、誰のお財布にも、入ることなく、廻り続けています。この誰の財布にも、入っていない、お金と、エネルギーとしての、お金の種(タネ)を、取り扱っているのが、量子宇宙内に、在るとされる、宇宙銀行と呼ばれるもので、表現の違いこそ、ありますが、多くの富裕層は、宇宙銀行との取り引きを、続けていると、公言しています。特に、イーロン・マスク、ジェフ・ベゾス、スティーブ・ジョブスなど、超富裕層の人たちは、般若心経や、禅などの教えを、バイブルとし、量子科学に関する考察や研究は、言うまでもなく、イーロン・マスクなどは、量子科学のテクノロジーを、パッケージにしたビジネスまで、展開しています。昭和以前、経営者の定義は、経済(お金)を営む力がある人のことを、指していましたが、平成以降は、お経を営む、つまり、見えない世界と繋がり、その流れに乗る人が、エネルギーとしてのお金を、具現化出来る時代へと変容してきました。ポイントは、まず、誰のものでもない、お金が、この世界には、溢れかえっているという事実を許容し、自らの預貯金残高や、投資収益から、量子宇宙経由のエネルギーに、意識を転換すること。ザルにすくいあげた預貯金と、睨めっこする人生から、目の前を流れる、豊かな大河や、大海原に、意識を馳せることで、新しいお財布は、具現化されます。預貯金残高は、これまでの、あなたの生き方の反映に、過ぎず、今、この瞬間、ザル入りの預貯金など、ハラをくくり、スパッと、手放すと、自らの思考の枠から解放、宇宙の流れとの共振が始まり、断続的に、浮かんでくるサインや、メッセージを、受容、実践することで、受け取る豊かさに、匹敵するエネルギーの器が、形成されていきます。わたしも、若い頃、手元に、170円しか無い時、明後日までに、3000万用意しないといけない騒動に、巻き込まれ、宇宙銀行に頼るしかないと、即発注。しばらくすると、山に登れとのサイン。山なんか、登っている状況ではない、と思いながらも、指示に従い、登山していると、次第に、お金のことは薄れ、山頂に、辿り着いた時には、久しぶりに、呼吸を取り戻した感覚になり、意気揚々、下山していると、思ってもいなかった、ひとつのイメージが、浮び上がり、一瞬、それは、やりたくないと、抵抗しかけましたが、ぐっと、呑み込み、下山後、即、実行しました。結果、翌日の昼過ぎ、3200万円が、手元に届き、この200万は、なんだ?と思っていると、3000万を、受け取る相手に、利息は、200万でいいと言われ、利息まで、見透かしていた宇宙銀行に、脱帽した記憶は、今も、鮮明に、刻まれています。このサイトを、ご覧の皆さまは、ひとり残らず、宇宙銀行の審査を通過し、すでに、口座が、用意されている方ばかり。ザルに入った預貯金ではなく、量子宇宙の自由なエネルギーとの、取り引きを、開始したいと、宇宙に、宣言してください。その瞬間から、取り引きは、始まり、サインが、現れてくるので、あとは、ジャッジすることなく、即実行を、繰り返してください。無意識とはいえ、豊かさのエネルギーを拒み、具現化を妨げ続けていたのは、自身の意識であったことに、気づいていくことでしょう。
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口座が、開設されると、多くの場合、地上の銀行口座や、タンス預金などから、みるみる、お金が、消えていく、最大の理由は、労働、投資、貯金、贈与、という、重力を持つ、3次元的思考で、引き寄せた、お金は、高い周波数を放つ、宇宙経由のお金とは、共振出来ず、相容れないため、多くの富豪たちは、一度、全財産を失い、路頭に迷ったり、莫大な借金を抱え、やること、なすこと、うまくいかず、自身の生き方を、変えざるを得ない環境下に導かれ、人生の根源である、量子宇宙と向き合い、変容するしか、道が、無くなり、自分を信じる人生から、人生を信頼する自分、つまり、宇宙の流れに従う生き方が、身に付いていきます。宇宙銀行に、口座を持っている方なら、頷かれると思いますが、例えば、今、全く、お金も無く、働いてもいない人が、どうしても、1000万円必要になったとします。期限を決め、金額を宇宙銀行に、発注すると、宇宙銀行から、衝動というカタチで、指示が、次々、降りてくるので、それに従い続けると、期限までに、1000万円が、必ず、具現化されます。それでも、宇宙銀行と付き合いが始まった当初は、これでもか、これでもか、という感じで、お金が、素通りしていきますが、要は、わたしのお金という、意識の枠が外れ、この世界は、愛と豊かさに溢れているという、リラックスした意識に、常態化すると、わざわざ、わたしのお金という、小さいザルに、お金を、かき集め、目減りさせるより、豊かさは、空気の如く、至る所に溢れている、という意識でいると、こちらから発注しなくても、宇宙銀行の頭取自ら、これを購入してください、代金は、こちらでご用意しますという感じで、買えば払えるという状態になっていきます。これが、よく、成功者が語る、なぜ成功したのかは、わからない、ただ、成功するということだけは、わかっていました、という状態です。宇宙銀行との取り引きに、収入も、残高も、才能も、哲学も、全く、必要なく、逆に、全て、無い人の方が、自分のチカラに頼らないので、人生が、スムーズに、変容していきます。
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馬鹿を見るという、ことわざがありますが、真実を語り、誠実な人が、損をするという意味ではありません。エネルギー的には、現状に、囚われ、自らの立ち位置を、柔軟に、変えることが、出来ない人、つまり、思考や、感情に、真っ直ぐ、従う人は、思考のブレーキが働き、宇宙との乖離が拡大、4%未満の思考エネルギーのみが、駆動力となるので、人生が、硬直、又は、停止していくということ。彼らの多くは、「わたしは、嘘が付けない性格だから……」と、胸を張っていますが、自分の見立てや、信念を、変える気はなく、無知から来る、自らの傲慢さにも、気づいていません。それはまるで、魚がいなくなった川岸で、釣り糸を垂れ、いつの日か、きっと、巨大魚は釣れると、豪語している様に映り、硬直している現状を、維持するため、宇宙が仕掛ける、ラッキー(?)な流れで、救われる運命に、ご満悦ですが、現状が、継続されるだけで、望む人生が、具現化されることは、ほぼほぼありません。わたしが知る限り、嘘が付けないという人ほど、他人には言えない秘密を、多く抱え、片や、理想の生き方や、未来の自分像を、外に向けて、語ることで、自らの思考を、エネルギーチャージ。期待と不安の狭間を、行ったり来たり、堂々巡りに、興じている人が、多いように感じます。
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言いたいことを言って、やりたいことをやることだと、思っている人は、多いでしょうが、量子科学的には、宇宙の揺らぎ(波動)と、人間の五感とで、共同創造されている目の前の事象(幻想)に、囚われることなく、本来(本質)の自分である、ただ在る静寂(スペース)で、在り続けること。そして、目の前の事象(幻想)を、俯瞰しつつ、湧き起こる感情を、意図的、客観的に、演じることが出来る状態が、自由な状態であると定義されています。例えば、悪さ(やんちゃ)をした子どもを、主観的、感情的に怒ると、悪さという事象(幻想)に、同調している状態なので、量子科学的には、不自由な状態となり、思考のブレーキが作動、悪さという事象が、拡大もしくは増幅されていきます。一方、感情的に、怒るのではなく、役者さんのように、叱る表現(演技)、もしくは、悪さには、一切触れず、思うがまま、コミュニケーションすると、宇宙の振動波と共振しやすく、悪さという事象(幻想)は、リセット(消滅)されていきます。ただし、怒りを抑え、冷静に話す振りと、役者さんのように、俯瞰的、客観的に、表現することは、根本的に、波動が異なるので、宇宙には、見透かされてしまいます。量子的感覚を持つ、若い世代などは、感情的に怒られても、聞く耳は、もちませんが、俯瞰的、客観的に、叱られたり、悪さに触れず、ただ一緒に、メシを食ったり、遊んでいると、悪さという事象は、自ずと、消滅していきます。又、現状や事象(幻想)に、意識が、囚われてしまうと、青写真から離脱、日和見の人生となり、未来が、硬直又は崩壊していき、現状や事象(幻想)を、共同創造している、宇宙の流れに、意識を、注ぎ続けると、青写真が履行、宇宙の振動波である、愛と豊かさが増幅され、それらが、速やかに、具現化されていきます。怒ると、叱るは、似て非なるもの。宇宙は、素直に、感情表現する人より、役者のように、いかなる役まわり(立ち位置)でも、抵抗なく、演じる、俯瞰性の高い人を、とても好みます。
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高額納税者の個人事業主たちが、よく、売上げはあるけど、現金はない、という表現を聞かれたことがあると思います。彼らの課税所得を、年間1000万円とした時、所得税、消費税、事業税、住民税、社会保険税、予定所得納税、予定消費納税など、すべて最高税率が課されるので、1000万円のうち、約800万円が税金で、手元に残るお金は年200万円。まさしく、現金はないのです。もちろん、彼らは、経費としては、使える分があるので、現金があるように見えますが、自由になるお金という意味では、年収600万の人の方が、現金は持っているというのが、実態です。わたしも、課税所得の8割近く、納税する立場なので、受け取ったお金のほとんどは、世の中に、還元する生活を、続けさせて頂いていますし、宇宙の流れの中にいることを、常に、実感しています。この宇宙の流れに、至るまでは、路上生活、車中生活に始まり、昼夜問わず、働いたお金、3億円以上を、十数年に渡り、里親たちに、搾取され続けてきました。そんな夢も、希望もない時代、宇宙の声だけは、届いていて、「手放しなさい、手放しなさい……」そう、言われ続け、もう稼ぎ疲れたし、生きていたくもないと言うと、「お金は、無尽蔵に在る、そのことを受容し、衝動が起きたら、即行動しなさい、お金は、引き寄せるのでも、稼ぐのでもない、お金は、ここに在るのです……」「そして、お前の死期は、決まっている。どんなことをしても、それより先に、お前は、死ねない……」わたしは、理不尽に感じる、お金の要求に対し、それ以降も、死んだように、手放し続けました。そんな人生に、なんの違和感も、感じなくなった頃、突然、宇宙が、「カリキュラムは完了。これからは、宇宙の流れに、身を置き、違うカタチで、手放し続けなさい……」そして、その瞬間から、様相が変わり、今在る人生へと急速に、変容しました。今、流れ込んでくるお金を、自分のモノと思ったことは、一度もありませんが、確かに、貯めたお金は、使い切れるけど、豊かさの海があれば、お金は、無尽蔵に、ここに在ると、実感しています。宇宙は、豊かさを受容するに、必要な器を、作ってくれていただけなのに、わたしは、思考で、勝手な幻想を生み出し、もがいていました。もし、ジャッジしていなかったら、もっと早く、宇宙の愛や、仕組みに、気づき、その過程をも、楽しめていたのにとは思いますが、すべて、必要必然ベストのタイミングであったと、今は、落とし込んでいます。
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