わたしに関わる人々の青写真(未来)を、断片的に、ダウンロードされているので、その人に、出会うと、その断片が、勝手に、再生され、その人の、今在る立ち位置と、宇宙の流れに在る場合との、ギャップを観ることが、日常なのですが、自らの青写真も、大きな節目は、見ているので、終わった未来を、追体験する人生に、当初は、終わった未来を、演者のように、生きるなんて、滑稽で、憂鬱にしか、思えませんでしたが、それは、わたしの視野の狭さから、くるものであると、気づかされてからは、青写真の断片が、新鮮で、色鮮やかに、映るようになりました。美しい夕陽を見ても、昨日と同じ夕陽だから、観る必要ないと、カーテンを閉めていたわたしから、目の前に在る夕陽は、今この瞬間にしか存在しない、唯一無二の夕陽であると、理解出来るようになりました。始まりも、終わりもない、循環する時の流れや、青写真の断片が、どのように、脳裏に、映り込むのかは、映画「メッセージ」に、リアルに、描かれていますが、実は、いかなる人も、自らの未来を、追体験していることを、理解することなく、ただ、そーなんだと、受容しさえすれば、臨死体験など、特殊な体験を、しなくても、青写真の断片は、日常的に、浮かんでくるようになります。

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