上手くいかない人との違いは、自分(自我)を信じているのか、人生(芯我)を信じているのかの差。多くの人は、自分を、信じることは、ポジティブなことであると、漠然と、思っていますが、その法則が、適用されるのは、物理的領域や、肉体の変容など、可視光線で、見える範囲の話し。目には見えない、心の機微、人生の流れなどに対しては、自我は、ブレーキとして働き、自分を信じる毎に、体験型人生へと、幽閉されていきます。特に、人生を、硬直させている親や、教師ほど、自分に、言い聞かせるかの如く、自分を信じることの大切さを、子どもたちにも、強要しますが、片や、人生が、スムーズに流れているオトナたちは、あたふたせず、流れに乗り、人生を、信頼すれば、たいていのことは、上手くいくと伝えようとします。自分のチカラを信じ、努力し続けている人たちを、横目に、ほとんど、努力することなく、棚ぼた的に、思ったことが、具現化する人たちと、話しをすると、「世の中大変そう……」「こんなに幸せなんて、世間様には、言えない……」とか、リラックスした言葉が、飛び交いますが、上手くいってない人々の口癖は、「ストレス発散して、気分転換しなきゃ……」「頑張るしかない……」と、人生の主導権は、自身に在るかのように、傲慢で、りきんだ言葉が、次から次に、吐き出されます。もちろん、本人は、善良で、良識ある市民として、生きているつもりなので、まさか、エネルギー的には、生かされているという謙虚さより、人生は、自分次第という、傲慢なバイブレーションが、上回っているとは、気づいていません。それはまるで、一匹の腸内細菌が、大腸の片隅で、脳神経の働きや、免疫系の動向など、無視し、己れの自我を、具現化しようとした結果、淘汰されるメカニズムに、とても似ています。

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