言いたいことを言って、やりたいことをやることだと、思っている人は、多いでしょうが、量子科学的には、宇宙の揺らぎ(波動)と、人間の五感とで、共同創造されている目の前の事象(幻想)に、囚われることなく、本来(本質)の自分である、ただ在る静寂(スペース)で、在り続けること。そして、目の前の事象(幻想)を、俯瞰しつつ、湧き起こる感情を、意図的、客観的に、演じることが出来る状態が、自由な状態であると定義されています。例えば、悪さ(やんちゃ)をした子どもを、主観的、感情的に怒ると、悪さという事象(幻想)に、同調している状態なので、量子科学的には、不自由な状態となり、思考のブレーキが作動、悪さという事象が、拡大もしくは増幅されていきます。一方、感情的に、怒るのではなく、役者さんのように、叱る表現(演技)、もしくは、悪さには、一切触れず、思うがまま、コミュニケーションすると、宇宙の振動波と共振しやすく、悪さという事象(幻想)は、リセット(消滅)されていきます。ただし、怒りを抑え、冷静に話す振りと、役者さんのように、俯瞰的、客観的に、表現することは、根本的に、波動が異なるので、宇宙には、見透かされてしまいます。量子的感覚を持つ、若い世代などは、感情的に怒られても、聞く耳は、もちませんが、俯瞰的、客観的に、叱られたり、悪さに触れず、ただ一緒に、メシを食ったり、遊んでいると、悪さという事象は、自ずと、消滅していきます。又、現状や事象(幻想)に、意識が、囚われてしまうと、青写真から離脱、日和見の人生となり、未来が、硬直又は崩壊していき、現状や事象(幻想)を、共同創造している、宇宙の流れに、意識を、注ぎ続けると、青写真が履行、宇宙の振動波である、愛と豊かさが増幅され、それらが、速やかに、具現化されていきます。怒ると、叱るは、似て非なるもの。宇宙は、素直に、感情表現する人より、役者のように、いかなる役まわり(立ち位置)でも、抵抗なく、演じる、俯瞰性の高い人を、とても好みます。
zerostillness
nandemo ari de nandemo nai